2016年AW 父母合同1日親の会:後編
お待たせいたしました!父母合同一日親の会・後編(午後編)です。
午後はまず、吉藤健太朗さん自身に不登校を経てロボット制作にたどり着いたあらましを語っていただきました。
「不登校時代は3週間一言も発しないでいたら、うまく笑えないどころか日本語の喋り方を忘れるほどだった」「ずーっと、部屋の天井だけを見ていた」と話す口調の軽妙さとは裏腹に、真剣な表情から当時の壮絶さが垣間見えました。
「自分はむしろいない方がいいんじゃないか?なんのために生かされているのか?自分に価値を感じられない辛さ…」。そういったテーマは事あるごとに顔を出し、復学しても「生きるというより、死なない理由を探し、(役割付与のため)ボランティアにも参加したり…必死になって考えた」と言います。
吉藤さん曰く、自分のロボットは「学校にいない人(自分のような人)が、友達と・家族と繋がり、思い出を作れるように」との思いがある事。
「会いたい人と会えない人が、どうやったら一緒にいる事ができるか?心安らぐ温かな時間を提供できるか?」を問い続けた事なども語られ、この辺りから徐々に当講演のキーワードとなるものが浮き彫りになり始めました。
自分は” 情報ではなく ”、『その人の存在(感)を伝えること』を重視しているとのこと。
こう思ったのは、吉藤さん曰く「大きな変化は、全部人の間にあったから」と、ことさら語気を強められました。
僭越ながら私はこの言葉を聞いた時、”生死を問うほどの深い闇”を経験した人だけが辿り着くテーマ:「人間(その人)の存在意義」すなわち、「人間(その人)にとっての居場所感の重要性」を感じました。
ひきこもり状態にある青年達は、自分の存在意義を日々問い続け、寄る辺ない心で心理的に漂流している事が多々あるものです。
SCSではひきこもりのご相談にいらっしゃった親御さんにまず最初にお伝えするのが、「子の存在を認め、安心安全な風土を作る事」です。
吉藤さんのお話を聞いていて、吉藤さんの親御さんはきっと” 子の存在を認め、子が才能を発見し生かすために自分たちは何ができるか、必要十分な支援は何か?”を自然と紡がれたのだなぁと思いました。
終盤、「不登校が吉藤さんにもたらしたものは?」との質問に…
ネガティブな要素
- 辛い、先の見えない世界を経験した
- 親を苦しめた
- 常識がない事で後々困った
- 19歳までうまく喋れなくなった
ポジティブな要素
- 親の期待が下がった(学校行くだけで喜んでくれた<笑>)
- 好きなことに没頭する時間を作れた
- 世間体や常識に縛られなくなった
- 人と違う経験ができたこと
とお答えくださりました。
この返答を聞いた時にも、ひきこもりから真に復活した青年らから聞かれる言葉と似ている!と思いました。
私が何をお伝えしたいかというと…
ひきこもっている状態とは、無理解な視点からは「働かなくて飯食えていていいな」とか「大した身分だ」などと思われがちです。
でも実際は異なるのです。
彼らは心の底から
- 「働きたい」
- 「親に迷惑をかけたくない」
- 「せめて普通に戻りたい」
- 「親に自慢の子でありたい」
と真剣に思っているのです。
その理想と現実のギャップに彼らは日々心を削り、絶望の闇に漂流しているのです。
もう一度、吉藤さんが上記に挙げた「ポジティブな要素」を見てください。
ひきこもっている青年達がこのように思えるようになるのは、親がしっかり子に寄り添い、サポートして、真に復活し、自己実現した場合に限るのです。
今となっては、多くの取材やCM、講演などをこなされるようになった吉藤さん。
3日に1度、今でも必ず親御さんと電話で話すそうです。
ここに一つの答えがある気がしませんか?
スタッフ T.M