父母合同1日親の会:2017春夏(後編)
前編で
「人は遊ぶ前に、働くことはない」と彼が語り、
「一つの壁を乗り越えることがいかに大きいことか、親がわかる必要がある。正当に評価されて、次頑張れるんです」と述べました。
彼は次にこうも語りました。
「せめて、自分の生活費くらい稼いで欲しいという親がいるけれど、どれだけ辛いか。義務感は続かないんです。」
「一生懸命稼いだお金が、ただ生きるだけに消えていく。何が楽しいのか?って思います」
並みの親御さんですと、『他の普通の子たちが“当たり前にやれていることが出来る様になった”だけで、一々褒めるのか?」「俺(私)だって、ただ生きていくために働いているんだ!」とおっしゃる方もいます。
それも、ごもっともなご意見であり、正論だとも感じます。
このブログでは心理学的な事はあえて交えず、彼の言葉を考えてみましょう。
『 正論 』とは、大辞林(辞書)で調べると「道理にかなった正しい議論・主張」という意味と出てきます。
「正論」はまさに、道理に適ってしまっているので言われた方には逃げ場がないんです。
親御さん自身が弱った状態で、正論で追い詰められた時に、どういうお気持ちがするでしょうか?
そして
追い詰められて出す選択は、後悔しないものでしょうか…。
彼は最後に語気を強くして、会場にいる100名近い親御さんへ言いました。
「多くの親御さんが、“斯(か)くあらねばならない”という価値観をお持ちだと思います。お子さんは、親の価値観に合致していないのが苦しいんです。親の価値観を受け継ぎ、苦しいからこそ、(心の)視野が狭窄してしまい、生きているのが辛いんです」。
「視野を広げて生きていける様に支援していくのが、親のテーマだと思います」。
この言葉に会場は静まり、多くのお父さん・お母さんが頷く姿が見られました。
SCSではひきこもりの子を持つ親御さんにこの様に伝えてます。
「子の変化の前に、まず親の変化が必ずある」。
手持ちのカードで苦しみながら生きることを強いるか?
自己実現の道(今回登壇してくれた彼は、ひきこもった後に大学(主席)・大学院を卒業しました)を応援するか?
どちらが、人生と言えるでしょうか?
前者と思うならば、ノックをするのはSCSではないかもしれません。
後者だと思う方は、SCSをノックして見てください。
SCSはひきこもりの青年の自己実現、親御さんの自己実現の道を共に歩む場所です
追伸
最後の写真は講演後の懇親会の様子。
当事者としての語りの後、こうやって知らない親御さんと自然な笑顔で、対等に力強く話ができる(元ひきこもり)青年はどれだけいるでしょうか。
スタッフ 桝田智彦